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体育教師の怪

たまには自己ネタを書かねば。
校内暴力や教師が学校内でやらかしたモノゴトのニュースを見たり新聞記事読むといつも思い出すのが中学生のときの体育教師。

一年生のとき。体育の授業中、ふざけた生徒が何人かいた。
当然、その生徒は怒られるのだが、このときにその教師がおかしなことをしたんですよね。
まず生徒全員を立たせて整列させ、そのふざけた生徒数人を前に出した。
そして何もしてない生徒に向かって、その教師は「こいつら(ふざけたやつら)は今危ないことをした。何か意見のあるヤツは?」。
もちろん、誰もなんにも言わない。
それじゃ、ということで、その生徒達は罰せられた。つまり体罰を受けた。

まぁ体罰といっても、頭を軽く小突く程度で騒ぐほどのものじゃないのだが(過敏な人はすぐ騒ぐが)、後になって冷静に考えたてみると、この教師のしたことが全くもって意味不明なのである。

そもそも、そのときに誰か生徒が「意見」を述べたら、ちゃんと聞いてやろうというつもりでそのことを言ったのか、いきなり殴ってはバツが悪いから形式的に聞いただけなのかがわからない。
仮に前者だと好意的に解釈しても、今まさに同級生が殴られようとしているのを目の前にして。正に暴力を振るわんとする当事者(相手は大人)に「意見」を挟める生徒なんて存在するのだろうか?
その点、かなり意味不明であり、理解できない。
実際私は「ハァ?」と思ったが黙っていた。
言えば自分に火の粉が降りかかるわけで、誰が進んで火中のクリを拾うのか。そのときにふざけた奴等が私とは親しい人物じゃなかったせいもあるけれど。

恐怖政治を実施している人間が、いくら「民主的な議会」を作りその意見を聞いているのだと公言しても、誰も聞き入れないだろう。「そりゃお前が恐怖政治してるんだから、誰も反対なんてするわけねーだろ」ってことである。
「こいつらは反対するので殺そうと思うが、それに対して反対する者がいれば出ろ。話を聞いてやる」と言われて、誰が文句を言えるのか。
学校とは、極めて閉鎖的な社会であって、教師がこのようなことを聞いたところで、同じことだろう。

そして、それをもって「民主的」だというのは、ただのバカである。
また、もし後になって暴力沙汰として問題になったときに暴行した教師が「私はそのときに生徒の意見を聞いたが誰も反対しなかった」と言ったところでタダの逃げ口上、誰も聞き入れてくれないだろう。
私はその教師との接点が、その一回きりだったので、その後も似たようなことを続けてたのか、それをした真意がなんだったのかわからないが、なんとも意味不明だったなあと思うのである。

清水義範氏の著作に『復讐病棟』という小説があって、『体育教師というのは、自分自身で体育教師であることを恥じている。コンプレックスを持っている。だから『体育の授業』とか『ふざけたことへの罰』という名の元、生徒をイジメるのだ』というような記述があって、正にそんなかんだじなと思う。

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